ザ・ブルーハーツ・マガジン

ザ・ブルーハーツ・マガジン

本日発売の、ロッキング・オン・ジャパン3月号。

ストレイテナー表紙!
バンプ・オブ・チキン!
東京事変!
KEN YOKOYAMA!
忌野清志郎『Baby#1』クロス・レビュー!(私も書いてます)

などなど掲載の超強力な号で、
さらに、特別付録「ザ・ブルーハーツ・マガジン」付き。
これ、昔のジャパンから、

1987年:デビュー直前
1989年:“TRAIN TRAIN”の頃
1995年:解散インタヴュー

の3本のインタヴューを再録したものなのですが、その3本目に関してです。

この解散インタヴューの最初のページに、
「1995年6月1日、突然の解散宣言、その直後に行った緊急ラスト・インタヴュー」
とある。
で、このブックレットの最後に載っているブルーハーツの年表に、
「6月1日 『ミュージックスクエア』に出演。解散を宣言する」とある。
そのへんの補足説明です。

この日、ザ・ブルーハーツは、ラスト・アルバム(だってことは
まだみんな知らなかったんだけど)『PAN』のプロモーションで、
NHK-FM『ミュージックスクエア』に、4人揃って出演した。
今の『ミュージックライン』のワクですね。
当時のDJは、中村貴子さん。

で。メンバー4人が持ち寄ったソロ曲を集めたこのアルバムの話を
いろいろして、曲もかけて、終始楽しい空気で番組は進行していった。
で、最後に中村さんが「では、これからの予定などは……」ときいたところ。

「予定は、解散ですね」
「……えっ? 何言ってるんですか」
「いや、ほんとに」
「そう。今日のこれが最後なの」
「は?」
「うん。解散なんです」
「えええっ!?」

ってなっているうちに時間がきて、番組終了。

ただし、この「ミュージックスクエア」は生放送ではなく、収録だった。
で、『PAN』の曲をいち早く聴けるのはこの収録の時だということで、
スタジオまで行っていた山崎洋一郎が、出てきたメンバーを捕まえて、
インタヴューをOKさせて、平間至さんにすぐ来てもらって、撮影も行う。

という一部始終だったのでした。
で、このインタヴューがジャパンに載った時は、その経緯を説明した
山崎のリード文があったんだけど、この「ザ・ブルーハーツ・マガジン」では、
それがカットされていたので、書きました。

このインタヴュー、ヒロトとマーシーは山崎洋一郎が行っている。
で、この時期の山崎のインタヴューは、ほとんど僕が
テキストにまとめており、だから小沢も小山田も
民生も卓球も僕がまとめていたんだけど、
この2本に関しては、自分がその作業をしたかどうか、憶えてない。
していないような気もするし、したような気もするし。
読み直しても思い出せない。
内容は憶えてるんだけど。
なんでだろう。

ともあれ、永久保存版です。
ぜひ。
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