アニメ『3月のライオン』の最終回が「ファイター」だったことについて

アニメ『3月のライオン』の最終回が「ファイター」だったことについて
アニメがスタートする約2年前、『3月のライオン』とBUMP OF CHICKENが初めてコラボレーションするときにCUTは深く関わらせていただいたのですが、そのコラボのときに誕生した楽曲がBUMP OF CHICKENの“ファイター”であり、コミックの10巻にも収録された羽海野チカ先生描き下ろしのエピソード「ファイター」でした。
そのコラボの取材でバンプのメンバーと羽海野先生が対談した時も、この「ファイター」というエピソードがあまりにも重要な内容になっていて、まるで最終回のようだという話が出ていました。
そしてアニメの第2期が今年の10月スタートで決定した中での第1期の最終話として「ファイター」がアニメ化され、第1期全体のED曲としてBUMP OF CHICKENの“ファイター”が流れ、しかもそこに羽海野先生の描き下ろしの絵が重ねられる--。
2年前のあの奇跡のコラボレーションは今も、同じ純度と爆発力のまま続いている。
新房昭之監督をはじめとするアニメの作り手たちという、やはり同じように「生きること」に同じ真剣さで向き合って表現活動をしている人々とも、必然的なシンクロをしながら。
それを感じる、本当に感動的な第1期最終回となりました。
第2期が始まる10月が待ち遠しいですね。
ここからの展開がまた『3月のライオン』は素晴らしいので。
何度かここにも掲載しているのですが、2年前のコラボに際して僕が書かせてもらった「BUMP OF CHICKEN×『3月のライオン』のコラボレーションが奇跡的である理由」というタイトルの公式の解説文を改めて掲載します。
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BUMP OF CHICKENと羽海野チカのコミック『3月のライオン』がコラボレーションをするという話を初めて聞いたとき、鳥肌が立った。
音楽とコミックのコラボレーション――よくあることのように一瞬、思えるかもしれないが、普通はその間にはテレビアニメとかドラマとか映画といったものが挟まらなければ成立しない。しかし、今回のコラボレーションにそれはない。にもかかわらず実現に至った。いや、むしろこの両者のコラボレーションに何かが挟まっていてはいけなくて、ダイレクトでなければならなかった。BUMP OF CHICKENの音楽が伝えてきたことと、『3月のライオン』が伝えてきたことの間には、あまりにも特別な、奇跡的とも言えるような共通点があるからである。
『3月のライオン』の主人公は、幼い頃に事故で父と母と小さな妹を失い、心に傷を負ったまま将棋のプロ棋士となり、孤独な生活を送っていた少年・桐山零。2007年に『ヤングアニマル』で連載がスタートして以来、この作品を読みながら、個人的に僕は、自然と心の中でBUMP OF CHICKENの音楽が鳴るのを感じていた。たとえば生きている意味を見失ったまま生きることに導かれる零の姿に“ハルジオン”を、戦う棋士の性としてまわりのモノを喰いちぎってでも生きる道へと手が伸びてしまう零の姿に“ギルド”を、引き取られた幸田家のなかに存在しているだけで義理の姉弟たちの命を押しのけてしまうことに気付き家を出た零の姿に“カルマ”を、僕は重ね合わせながら読んだのである。そして川本家の3姉妹や「放課後将棋科学部」の人々などとの交流のなかで生きる意味や喜びを取り戻していく零の姿と、消えない悲しみや痛みがあるからこそ“HAPPY”や“ray”といった強く明るい楽曲を生みだしてしていく近年のBUMP OF CHICKENの姿は、もはや自分の中でもどちらが先かわからない形で重ね合わさっている。
もちろんこれらのBUMP OF CHICKENの楽曲と『3月のライオン』の物語は、勝手に僕が重ね合わせているだけで、直接的に影響を及ぼし合っているわけではない。しかし偶然に共通点を持っているわけでもない。お互いがお互いのファンであることは確かだが、そんな単純なことでもない。敢えて言葉にするなら、「生きること」に同じ真剣さで向き合って表現活動をしている両者が、必然的にシンクロしているということである。
BUMP OF CHICKENと『3月のライオン』がコラボレーションする――それはふたつの、別個でありながら同時代を同感覚で生きる物語が奇跡的に交錯する瞬間である。そこにどんな楽曲が生まれ、どんな漫画が生まれるのか。その誕生の瞬間が、それぞれのファンとして待ち遠しくてたまらない。

(古河)
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