マーティン・スコセッシ監督は、なぜ『沈黙』の映画化を28年も熱望したのか。

まずは公開されたばかりの、本予告編をどうぞ。





ワンシーンごとに、胃袋にズシンと来るような苛烈な描写が続きます。
17世紀のキリスト教徒への弾圧が、これほどまでに哀しみと痛みに満ちていたのか。
遠藤周作の原作がそういうものだから、当然といえば当然ですが、それがスコセッシの映像力で眼前に展開されたときの迫力は桁が違う。


で、予告編の最初に語られるように、彼が原作小説を読んで映画化を志したのが1988年。つまり『グッドフェローズ』よりも前ということ。
理不尽と暴力が支配する現実の中で、良き意志を持つ人間が、どのように苦しみ、どのように変わらざるを得ないのか。
スコセッシの作品世界を貫くテーマそのものが、『沈黙』の中には先に究極の形で描かれていたわけです。
弾圧に敗北し、キリストの顔が描かれた踏み絵に足を乗せ、棄教した宣教師にとって、神と自分の関係とは何なのか。


つまり、これをひとつの理想として胸に秘めながら、スコセッシはこの28年間、自分の映画を撮り続けてきたのかなあ、と。
いろいろなトラブルで撮影そのものが延びていた経緯はもちろんありますが、果たして自分が自分の満足いくクオリティで『沈黙』を映画にできるのか。
そして現在の自分はそれにふさわしいのか。 たぶんそういう葛藤もあったのではないかと想像します。
あと、スコセッシには1997年に撮った『クンドゥン』という、ダライ・ラマ14世の伝記映画があります。
巨大産業としてのハリウッドからいったん離れて、自らの魂を洗浄するように撮った『クンドゥン』は、きっと彼の中で『沈黙』に一番近いのでは。


で、実際スコセッシ本人がどう考えているのか?というと……監督本人に取材した(本当に)超貴重なロングインタビューが、1月19日発売のCUT2月号に掲載されます!!
主演のアンドリュー・ガーフィールドのインタビューも同時に掲載。 ぜひ、楽しみにお待ちいただきたい!(松村)
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