続・なぜ僕たちは『逃げ恥』に夢中なのか?


恋をするにしても何にしても、得られるメリットと起こりうるリスクをきっちり検討せずに衝動で動くほど、こちとら日々に「遊び」の領域はない。
胸がときめかないわけではない。
幸せを求めていないわけでもない。
ちゃんと欲望だって満タンに抱えている。
でもまずは、この足場の悪すぎる現実の上に合理性をきちんと隙間なく敷き詰めて、自分をフラットに保つところから始めなければ--。

ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で星野源が演じる平匡さんがわかりやすく極端な形で、ガッキーの演じるみくりが何気に極端な形で醸し出しているそんなしみじみとしたドライさ。
観れば観るほどに「わかるわー」と感じる人が今、たくさんいるからこそ『逃げ恥』の注目度はこんなにも右肩上がりなのだと思う。

みくりと平匡さんは恋のスタート地点に立つにはまだまだのところから抜群の相性で二人三脚を始めたのが、一緒に合理性の足場を敷き詰めながら生きていたら、恋のスタート地点をいつのまにか追い越していて、そのことにお互いいつ気付くやらという状況。
第4話以降、どれだけのすったもんだがあれば、何回あの楽しいダンスを踊れば、ふたりの「恋」は「恋」だと自覚できるのか。

でも妄想の中で恋愛をディフォルメする物語が恋愛ドラマとされがちだった風潮の中、『逃げ恥』はすごくリアルで、その行く末に希望を感じながら見守りたくなる実に素敵な、現代ならではの恋愛ドラマだ。(古河)
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