【知りたい】オアシスvsブラー、ブリットポップ時代の対立、和解のハグ、そしてゴリラズでのコラボまで

【知りたい】オアシスvsブラー、ブリットポップ時代の対立、和解のハグ、そしてゴリラズでのコラボまで

7年ぶりのニュー・アルバム、『Humanz』が4月28日リリース! フジロックでのヘッドライナー来日も決定!と、ゴリラズの再始動のスタートダッシュが凄いことになっている。

前作『ザ・フォール』以来7年ぶり、いや、でも『ザ・フォール』はデーモンがほぼ一人でiPadでレコーディングした特殊な作品だったことを思えば、豪華ゲストを迎えてのオリジナル・アルバムだった『プラスティック・ビーチ』以来7年ぶりと呼ぶべきなのが、今回の『Humanz』だ。


ドナルド・トランプ米大統領の就任式にぶつけてきた"Hallelujah Money"の時点で、彼らのニュー・アルバムがゴリラズらしい意匠とメッセージ性、そして革新性で貫かれた完全覚醒の一作となることは予期できたが、その後に発表された多彩なコラボ陣にはさらにワクワクさせてくれる面子が揃っていた。中でも驚きと共に迎えられたのが、あのノエル・ギャラガーの参加だ。

ちなみにノエルは以前から「ゴリラズが新作を出すなら参加したい」といった趣旨の発言をしており、今回はデーモンとノエルの双方にとって念願かなって実現したコラボだったということなのだろう。デーモンも「ノエルとの仕事は最高だった」とインタビューで語っている。

2011年の和解後、一気に親しくなってしょっちゅうふたりで飲んでいる、という話はすでに何度も報じられているが、それでも90年代の彼らの因縁を知る身としては、デーモン・アルバーンとノエル・ギャラガーが「共演」、「共作」したという事実は、ジワジワとした感慨を覚えるものでもある。



『T2 トレインスポッティング』の公開(日本もいよいよ今週末から!)もあってか、英米メディアではにわかに前作『トレスポ』の時代、90年代のUKロックやUKカルチャーを回顧する特集が相次いでいる。

そして90年代のUKロック、UKカルチャーといえばやはり筆頭にくるのは『トレスポ』を含むクール・ブリタニア=ブリットポップであり、ブリットポップの狂騒を象徴するふたつのバンド、ブラーとオアシスであり、そして当時の「オアシス vs ブラー」の因縁なくしては語れないものだ。

イングランド南部のミドルクラス出身、ロンドンのポッシュを代表するブラー。イングランド北部のワーキングクラス出身、マンチェスターのラッドを代表するオアシス。

オアシスとブラーの対立は、当時のUKロック・シーンで最も勢いがあった彼らのそんなあまりにも対照的なキャラクターやポジションを、本人たちより先にメディアが面白がり、ライバル関係に仕立て上げたことから始まった。



ちなみにオアシスのデビュー・アルバム『ディフィニトリー・メイビー』のリリースは1994年8月、同年4月には先にブラーの3作目『パークライフ』がリリースされていて、この『パークライフ』が事実上ブリットポップ勃興の号令となったと言っていいだろう。

そういう意味でも、94年当時のUKシーンにおいてオアシスが超モンスター級の新人だったのは間違いないが、ブリットポップという時代の主役は、やはり最初はブラーだったのだ。

ブラー “パークライフ”
当然、オアシスはそれが気に入らない。「スノッブなロンドンのやつら」という言い方でブラー周辺を批判するところから始まり、インタビューでの悪口批判はもちろんのこと、わざわざデーモンやグレアムの行きつけの店にリアムが乗り込んで嫌がらせする、なんてことまでしていた。

通学路で優等生を待ち伏せして因縁を付ける不良ノリである。それに対してブラー側はインタビューで「無教養」「北部のださい田舎者(これもこれでヒドい)」などと応戦することはあるものの、オアシスのように熱くなることはなかった。この、自分たちが望む喧嘩のリングに上がってこないブラーの態度にも、ギャラガー兄弟はイライラしたのだろう。



そんな中で、ついに彼らの直接対決の機会がやってきた。1995年8月14日、オアシスの“Roll with It”とブラーの“Country House”の同月同日発売が決定し、全英シングル1位かけてのガチンコ勝負となったのだ!

……と、書いてみたところで改めて脱力するしょうもない対決だが、当時は誰もがわりと本気だった。あの年、ちょうど夏休みでロンドンにいた筆者は、BBCのお堅いニュース番組が両陣営のCDプレス工場の映像を交え、この対決を真顔で報じているのを見てびっくりした記憶がある。

結局、6万枚近い差をつけてブラーの“Country House”が勝利を収めたものの、2カ月後のオアシス『モーニング・グローリー』のリリースと歴史的大ヒットによって、シングルの勝敗は一気にどうでもいいものとなった。

そもそも“Roll with It”も “Country House”も、オアシスやブラーのディスコグラフィーの中ではそれほどエポックな曲ではないというのも皮肉な話だ。それでもこうした事件になるほど、当時のブリットポップの熱風はシーン全体をプロレス化、タブロイド化していたということなのだ。


オアシス “Roll with it”
ブラー“Country House”

しかし、たとえそれがしょうもない対決だったとしても、負けたオアシス側は激怒した。実は売上げの集計に欠かせない“Roll with It”のバーコードが数万枚単位で読み取り不良品だったという、いかにもクリエイションらしい詰めの甘さによる自業自得の部分もなきにしもあらずだったのだが、それでも彼らは怒り狂った。

“Roll with It”がオールドスクールに1種で勝負したのに対し、“Country House”は「姑息にも」2種リリースだったこと、また、ブラー側が当初の予定をずらして「わざと」オアシスのリリース日にぶつけてきたこと、ここらへんがギャラガー兄弟の怒りのポイントだった。



その怒りの沸点で飛び出したのが、悪名高きノエルの「エイズで死んじまえ」発言だ。この発言のポイントは、ブラーの4人のメンバーを明確に区別した狙い撃ちだった、というノエルの変な律儀さだ。

いわく、「ブラーのギターはいいやつだ。ドラマーもいいヤツだと聞いている。でもデーモン・アルバーン、あとあのベースはダメだ。デーモンとアレックスにはエイズにかかって死んでもらいたい」と。

宿敵デーモンはもちろんのこと、実はデーモン以上に自分たちを煽りディスっていたアレックスの発言や態度を、ノエルはちゃんとチェックしていたのだ。ノエルは恐ろしく頭の回転が早く、弁も立つクレバーな人だが、そういう彼の性質がぜんぶ裏目に出たのがこの発言だったと言ってもいいかもしれない。

それにしても、ひどい。どこからどう聞いてもフォローできない完全アウトな失言だった。言った直後にノエル自身も即後悔、世間からは大バッシングでエイズ関連団体に正式に非難声明を出される社会問題に発展、最愛の母ペギーにも「そんなことを言う子に育てた覚えはない」と激怒されたノエルはすぐさま謝罪。

あのリアムですら兄に乗っかって「おう、死んじまえ死んじまえ!」とはならず、「アホなこと言ったなあ兄ちゃん。まあでもどうにかなるさ」と慰めたというのだから、ことの深刻さがいかほどだったかご理解いただけるんじゃないだろうか。

「本当にバカなことを言ったと後悔している。デーモンもアレックスも長生きしてください」とのノエルの謝罪を受けて、ブラー側も大人の対応で手打ちとなった。



この発言を境に、両者の対立は急速に収束に向かっていった。これはオアシスとブラーの喧嘩だけが盛り下がっていったというよりも、彼らの対立を煽り立て、楽しんでいた時代のムード=ブリットポップ自体の終わりが近づいていた、ということだった。

1997年の『ビィ・ヒア・ナウ』の時代、兄弟の亀裂に加えてブリットポップの敗戦処理まで追わされたオアシスが混乱に陥っていた一方で、ブラーの“Song 2”が真っ先に「ブリットポップの次」を指し示して鳴った時、ああもう片方はとっくにリングを降りていたのだと、祭りは終わったのだと我に返ったファンも多かった。


その後、オアシスが90年代末の危機をなんとか乗り越えて再生を果たし、一方のブラーが活動休止(2003)に入って以降は表立った喧嘩はなくなり、たまにインタビューで振られたノエルがデーモンに嫌みを言う程度の「お約束」になっていった。これが、2000年代の彼らの、十分に大人になった彼らの関係性だ。

オアシス“Don't Go Away”
ブラー“Song 2”
そして時が流れて2012年2月。ブリット・アワードの授賞式で鉢合わせしたデーモンとノエルが笑顔でハグを交わしている目を疑うような写真と共に、「因縁の両者、ついに和解!」なるニュースが駆け巡った。

ちなみに2012年頃のふたりはどのような状態だったのか――デーモンはブラーの再始動とメモラブルな再結成ライヴの数々に加え、ゴリラズや各種サイド・ワークでも活発に動いていた時代だ。

幼馴染みだったグレアムと絶交状態に至ったトラウマ、そこからようやく仲直りできた当時のデーモンにとって、若気の至りの極みであるブリットポップ時代の遺恨なんて、本当に些細なことだったのだろう。


一方のノエルもソロ・デビュー・アルバム『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』をリリースし、オアシスを自らの手で終わらせ、いよいよ新しい人生、キャリアを歩み始めようとしていた時代だった。ふたりはそのまま朝まで飲み明かしたそうだが、これも当時のふたりの置かれていた状況、メンタル的に最高のタイミングだったからこそだろう。

証拠写真はこちらから。
http://www.nme.com/news/music/damon-albarn-96-1280129

たとえば90年代に同じように不仲だったとは言え、デーモンとリアムがそれこそ異星人のように「わかり合えない」からこその犬猿の仲だったのとは異なり、デーモンとノエルの不仲は実は「わかる」部分——たとえばそれはソングライティングへの真摯な取り組みであり、マルチタスクでワーカホリックな性格——があるからこその同族嫌悪も含んでいた。

そして和解によってその「わかる」が「わかり合える」に発展し、そうしてついに至ったのが今回のコラボなのだ。



そんな紆余曲折を経て実現した待望のゴリラズのノエル参加曲“We Got The Power”!
……なのだが、ん?ノエルどこでギター弾いてる?確認だけど、ギターで参加したんだよね?と、ここまで来て「わかりづらい」作りになっているのが笑ってしまうのだ。

EDM〜トロピカル・ハウスを彷彿させる上物といい、共に参加したサヴェージズのジェニーのアジテーション(プライマル・スクリームの“Loaded”における『ワイルド・エンジェル』のサンプリングみたい。格好いい!)と猛烈パワフルなソウル・ボーカルといい、曲自体はもちろん超最高。

そしてコールドプレイの“Up & Up”でのコラボのようにわかりやすくギターを弾きまくるのではなく、敢えて縁の下の力持ちとしてノエルが仕事をしたコラボだったのだとしたら、それはそれで非常に興味深いものがある。

実際のレコーディングがどういうプロセスで行われたのか、もっと詳しくデーモンに訊いてみたいところです。(粉川しの)
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